大新聞

大新聞とは明治初年の政治評論に中心をおいた新聞のことで、政論新聞とも言い、漢文的教養を有する読者を対象に、政治上の、論議を主とした硬派の新聞で、通俗紙である小新間に対して用いられました。経営規模の大小による区別とは異なります。明治7年民選議院設立建白書を契機とし、新聞界は議会間題を中心とした論争の渦に巻きこまれました。それぞれ政界の対立を反映した擁護、対立の態度を表明し、指導機関としての自負に立って天下国家を論じました。このような政治を論じその態度を表明した意見新聞でもあります。大新聞はやがて政党の成立とともにその機関紙として政党新聞となっていきます。ざらに社会体制の変化は大新聞の通俗化を必要とし、一方小新聞の勢力増大、紙面の変化および両者の接近が促され、やがて大新間は高踏主義は影を潜め、報道本位の聖教新聞へと転化していきます。

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